函館の歴史
武田家家臣・河野政通が北海道にやってくる以前の歴史ははっきりしていませんが、北海道には主にアイヌ民族が住んでおり、その当時北海道は「蝦夷」と呼ばれて、日本とは一線を画した存在になっていました。この時に、河野政通が築いた宇須岸城が、箱の形に似ていたため、箱の舘と書いて「箱舘」と呼ばれるようになりました。江戸時代になると、高田屋嘉兵衛が、蝦夷と日本の交流の場として函館を選び、松前藩が置かれて本格的に藩政が始まりました。横浜にペリーが来航して日本が開国となると、補給港となり、さらに日米修好通商条約によって日本で初めての国際貿易港となりました。そのため、横浜と同じく外国人居留地があり、たくさんの商館などが立ち並びました。幕末になると戊辰戦争の舞台となり、新鮮組副長で有名な土方歳三や、海軍中将のは榎本武揚が五稜郭に立てこもって、新政府軍と戦いました。ここで、戊辰戦争は終結することになります。その後「箱舘」から「函館」に改名され、昭和には函館大火で函館市民の半数が罹災したといわれています。しかしながらそんな逆境にもめげず、函館は外国との貿易で徐々にその知名度と街並みを発展させていき、現在では2009年のブランド力調査によって、最もブランド力のある地域として認められています。